生きるための倫理:まとめと結論
これまで、「人は良いと思った行動をする」から出発し、普遍的倫理を求めてコミュニケーションの形成を順を追って見てきたが、今や全体を俯瞰して説明することができる。
コミュニケーションは階層性を持つ
コミュニケーションは階層性を持つ。創発によって、独立した個々人同士の集合がコミュニケーションを形成し、言語を形成し、諸理念を形成する。より高位の(深い)階層は、より低位の(浅い)階層の特徴を備えもつが、低位の階層からは説明できない独自の機序を持つ。さながら、家はレンガからできているがレンガで家は説明できないようなものである。
第ゼロの階層は、個人である。個人は、個体の感覚に基づく学習とそれによる行動決定をする。動物もまたこの機能を持つ。この段階では、他者は世界に埋没しており存在しない。さながら無人島の孤独人である。
第一の階層は、相互学習に基づくコミュニケーションである。学習する他者が、汲みつくせない深淵として現れる。ここではじめて人間の複数性があらわれる。このコミュニケーションは、それぞれの個体を分析しても理解することができない、新たな階層である。
第二の階層は、記号・言語コミュニケーションである。これは相互学習によって形成される。言語ゲームである。固有の体験が言語によって記号化され普遍化されることで、コミュニケーションに共同主観性が立ち現れる。
言語コミュニケーションは、
第一には現象についてのコミュニケーションである。これは現実と虚構の峻別以前の境地である。
第二には、存在するものあるいは存在しないものについてのコミュニケーションである。これは、過去の現象が現在の現象によって暴かれ分別されるときに明らかになる。
第三には、創造的コミュニケーションである。これは、存在するもの/存在しないものについてのコミュニケーションの間に弁証法的に発生する。
第三の階層は、より高度なゲームである。これは言語などから形成される。コミュニケーションの性質には還元できない独自のルールやコンテキストを持つ。人間のもつ諸概念は、創造的コミュニケーションの産物であり、言論ゲームによって磨かれてきたものである。「人間」という概念もまたそうである。
コミュニケーションの自己破壊
より高位の階層はより低位の階層を前提として要請するが、高位の階層が、低位の階層を破壊したり低位の階層が破壊された状態で作動したりすることが起こりうる。そうした状態でのコミュニケーションは、破壊を再生産する。コミュニケーションが個々人の学習の作動を破壊したり、言語や言論をもって言語を破壊する(物の名を乱す)ことなどがこれに当たる。そうした破壊的なコミュニケーションを広義の意味でハラスメントと呼べるだろう。
コミュニケーションのための倫理
コミュニケーションのもとでの人間を前提として、先験的かつ普遍的な倫理を導き出すことができた。すなわち、相互学習に基づくコミュニケーションを守るための、他者と相対しながら共に在るための、その意志に基づいた行動指針である。
この倫理に反することを意志するならば、独我論的な認識の世界に幽閉されることになる。なぜならば、創発によって発生するコミュニケーションを認識することを通してしか、他者が眼前に立ち現れることはないからである。
締め括りに
学習を停止し頽落したひとびとは、真の意味で他者と共にあるのではない。彼らは互いの持つ記号や社会的自我を媒介してのみ接続するが、記号群は人間を離れて惰性によって運動している。これが根本的な価値の喪失の原因である。
それらに意味を与えうる空間を開くのは*1、人間の学習の作動である。相互学習のコミュニケーションの次元を再活性化させることで、硬直した言語や言論のコミュニケーションの持つ意味やダイナミズムも再活性化しうる。
横着せず瞞着せず他者と向き合うこと。これが求められている行動である。ここにあるのは、単一の価値観による支配でもなく、相対主義的で相互理解不能な散乱状態でもない。コミュニケーションにおいて生じる創発を信じるならば、人間の平準化や情報の熱的死は起こりえないものである。そのような社会にのみ、人間の未来はあろう。
*1:断じて意味を与えるのではない