生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

欲望の形式からの脱出

欲動の主体と論語:我仁を欲すれば、ここに仁至る

はじめに、これまでの結論から 欲動の主体は、ある意味で常に満足している。 しかし、これを現状追認の言い草として終わらせるのでは全く不十分だ。「夫に毎晩殴られる?しかしあなたはそれで享楽を得ています。あなたが逃げようとしないのは、無意識でそれ…

ラカンにおける欲望/ラカンを用いて

前々回と前回の二つの記事で、欲望に対峙したときに起きる問題を大まかに捉えることを試みた。欲望の原因は何で、我々はどうすべきか?ただ生活を満たせばよいのか?哲学が必要か?革命か?それともどうしようもないのか?あるいは「なにもしない」をするこ…

欲望の解決を巡る弁証法

欲望のもつ過剰/欠如の性質は、それが過剰でも欠如でもない、完全であるようなゼロ地点を指し示す。失楽園神話において、それは単なるホメオスタシスのはたらきではなく、質的に異なる解決を意味する。楽園回復と革命と死の欲動など。

欲望の説明を巡る二項対立

欲望を説明するさい、失楽園神話が顔を覗かせる。そして、その神話自体が欲望の原動力となって、人を突き動かし駆り立てる。原初に失われたものという、欲望の原因・対象を巡る問題

The time is out of joint!

時代の関節が外れている。意味は失われ、世界は宙吊りになっている。 意味なき時代において行為はいかに可能か?欲望をいかに位置づけるか?欲望論序章。