生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

山田屋のドームクーヘンがめちゃめちゃおいしかった話

 頂き物として、山田屋まんじゅうの「ドームクーヘン」を食べる機会があった。これがとてもおいしくて感動したので、書く。

https://www11.easy-myshop.jp/emsrsc/yamadayamanju/itemimg/154/item.154.5.jpg?1669620922033

山田屋まんじゅうオンラインショップ商品販売ページより

創業慶応三年 山田屋まんじゅうの「ドームクーヘン」

 ドームクーヘンは、愛媛県松山市に所在する長い伝統を持つ和菓子屋、山田屋が販売しているお菓子である。これはバームクーヘンと饅頭の合いの子のようなお菓子で、層状の生地でできた半球状の小さなケーキのなかに、程よい量の餡子が入っている。

 生地の方は、バームクーヘンの魅力――ほんのりとしてしつこくない甘さと、あの独特な"年輪"の舌触り――を余すことなく実現しており、餡といえば、バランスの良い甘さのもとで高級感と満足感を窮めている。

 

 しかし最も特筆すべきは、この両者の組み合わせによって実現された完成品としての「ドームクーヘン」の魅力である。そこでは、一般的なバームクーヘンと饅頭のそれぞれの欠点が互いに補っており、職人技によって完璧な調和が生み出されている。

バームクーヘン+饅頭=

 一般的なバームクーヘンは、餡やクリームの入っていない単純な焼き菓子なので、食べていると次第にどうしても口の中がパサついてくる。紅茶と合わせると今度は口の中が湿りすぎてバームクーヘンの食感が失われる。チョコレートやクリームでデコレーションしたものは、それはそれでおいしいけれども、バームクーヘン独特の魅力は幾分陰に隠れてしまう。

 他方、一般的な饅頭は、餡が強すぎれば食べていてしんどいし、かといって餡の主張が弱いと寂しい。このバランス自体が難しいけれども、基本的に皮で勝負してくる饅頭はないので、どうしても餡の印象が強くなりがちだ。

 ドームクーヘンにおいては、この両者の特徴が噛み合わさっている。饅頭の皮をバームクーヘンにすることで、餡をより繊細な味に寄せることができ、バームクーヘンは餡の存在によって、その魅力を活かしたまま欠点を消すことができている。そしてこの基本的なコンセプトは、職人芸によって極めて完成度の高いお菓子として実現しているのだ。

ドームクーヘンを実現させた神秘的な職人芸

 ドームクーヘンを完成させるまでに、想像を絶する数の試作品が制作されたであろうことは想像に難くない。なにしろ、単に「おいしいバームクーヘン」や「おいしい饅頭」をつくるだけでも極めて奥深い職人の世界があるのに、その両者の美味しさを引き立たせる最適な組み合わせを発見しなければならないのだ。

 お菓子の美味しさは、単一の関数を最大化すれば実現するような単純な世界ではない。オーブンの温度、小麦粉や卵の比率、生地の練り方、砂糖の甘さ、挙句の果てにはその日の気温や室温などのきわめて多くの関数が関係する、非線形の複雑な世界なのである。いずれの要素も、多ければよいとか高ければよいとかいう問題ではなく、すべては他の要素との絡み合いと、人の味覚というこれまた複雑な評価基準が関わってくるのである。

 したがって、究極のお菓子というものは、PDCAサイクルだの回帰分析だのといった手続き的計算では実現しがたいものだと思われる。なぜなら、そうした手段の根底にある漸進的・近似的な手法は、複雑な世界での繊細なバランスが必要とされるお菓子においては全く役に立たないか、少なくとも意味のある分析のために必要な試行回数が現実的な数ではないからである。

 しかし、「ドームクーヘン」はそうした域に達している。この文句のつけようのない完成された甘味は、計算不可能性の壁を突破しているのである。

明示的知識と暗黙知

 計算的な手法が通用しない世界において、生身の人間がどうして通用するだろうか。明示的な論理と知識が覇権を主張する現代社会において、これは想像しがたい事態である。しかし、私の食べたドームクーヘンは、それが可能であることを体現している。いったいぜんたい、職人たちはどのようにしてこの複雑なお菓子作りの世界と渡り合っているのだろうか。

 

 科学哲学者のマイケル・ポラニーが提唱した概念の一つに、「暗黙知」というものがある。これは、"tacit knowing"の訳語なので、正確には「暗黙に知ること」としたほうがよい。

 暗黙知とはどういうことかというと、例えば自転車に乗れるようになることが挙げられる。明示的知識としては、自転車は左右にバランスよく体重をかけ重心を中央に保つことでまっすぐ進む。しかし人は、その知識によって自転車に乗るわけではない。多くの場合、何度も転びながら「いつの間にか」乗れるようになっているものである。この自転車が乗れるようになったプロセスを説明することはできない。これが自転車の乗り方を暗黙に知る、ということである。

 この暗黙知は、人間が生きるうえで重要な機能を果たしている。言葉を話すのもそうである。普段話しているとき、日本語についての明示的な知識、文法法則、格変化、語末表現等々を意識して選択・使用しているわけではない。そんなことをすれば、たちまち自分が何を話そうとしていたのか分からなくなってしまうだろう。我々は多くの場面で、暗黙知の次元を利用して生活している。

 お菓子作りをはじめとした職人芸も、この暗黙知に基づいていると考えられる。そこでは、長年にわたる経験・暗黙知の結晶が「職人の勘」として発動しているのだ。これによって、膨大な探索候補からきわめて正確な判断ができるのだ。

 職人の勘をもとに、お菓子作りをマニュアル化、機械化することはできるかもしれない。しかし、勘による探索プロセスそのものを機械的に実装することは非常に困難である。*1

 明示的な命令として手続き的に実行しようとすると甚だ複雑で困難な行動も、人間は相対的にはごく短期間の暗黙の学習プロセスで適応し、身に着けてしまう。それだけの能力が、人間の脳にはあるのだ。

 

この美しい世界では、すべてが可能なのです

 山田屋のドームクーヘンは、言葉で表現できないようなことが実現可能であると教えてくれる。完璧なお菓子は、糖分だけでなく、人の暗黙裡の可能性の示唆をも、与えてくれるのである。ドームクーヘンを食べた時の感動は、そうした人間の可能性に触れる感動なのである。

 

リンク

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ドームクーヘンシリーズ|山田屋まんじゅうオンラインショップ -和菓子通販

 

 この記事の思想的背景は、安冨歩『生きるための経済学』に大きく依拠している。

*1:ただし、勘に極めて近いシステムをしているのが、近年のニューラルネットワークによる機械学習である。ニューラルネットワークはその名の通り脳のニューロンのネットワークを模倣した情報処理システムで、直線的な明示的論理ではなく、各関数の複雑な相互関係を複雑なシステムによって処理をする。従って、その中身を見ても、ニューラルネットワークがどのようにして結論を出したかを理解することは難しい。

 暗黙知といういささか神秘主義的な概念をニューラルネットワーク技術によって擁護するとすれば、人の脳は1000億のニューロンと150兆のシナプスニューロン同士の接続)でできており、現存するニューラルネットワークシステムとは比べ物にならない圧倒的な性能をしている。お菓子作りという複雑な問題系に適応できるとしても、何ら不思議ではないのである。