生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

日本共産党の地方組織とマネジメント――横浜・杉並の事件に関して

 2022年11月6日、岡山で開かれたJCPフェスタに辰巳コータローがやってきた。そのさい、日本共産党杉並地区委員会におけるいわゆる「パワハラ疑惑問題」および、横浜市神奈川区の個人情報不正取得・不正使用事件*1について話すことができた。この記事では、辰巳氏からの応答とそれを受けて私が考えたことを書く。

 なお、私は日本共産党員ではないため、党規約その他の拘束を受けない*2

 

日本共産党のいくつかの地方組織が抱える問題

 まずはじめに、この記事から杉並・神奈川の両事件の存在を知った人のために、概略を説明する。なお、この記事は事件の詳細を明らかにすることではないため、詳細については注で資料を示すにとどめる。

日本共産党杉並地区委員会におけるいわゆる「パワハラ疑惑」について

 事の発端は、2022年10月初旬、現職杉並区議会議員金子けんたろう氏の次期選挙不出馬が発覚したことにある。金子けんたろう氏は前回区議会議員選挙において日本共産党から公認を受けて立候補し、インターネット上のつながりを含める多くの市民ボランティアが応援に駆けつけて当選を果たした。同氏は市民支持者からの信頼も厚く、熱心な議員活動を行っていたため、支持者からは説明を求める声が上がった。

 この中で不出馬理由について、金子けんたろう氏が党の選対本部でパワハラを受けた、党員から党外の支持者への暴言があった、などという噂が広まった。*3

 これらの状況において、金子けんたろうの支持者たちは、日本共産党杉並地区委員会に対し電話で状況の説明を求めたり、スタンディング抗議を行うなどしているが、杉並地区委員会からは個別の返答以外に公式の発表はなく、また事態の収拾の見通しもない。

 

神奈川区事務所における個人情報不正取得・不正利用事件について

 2022年10月10日、横浜市教育委員会横浜市神奈川区内の斎藤分小学校および二谷小学校の統廃合を検討していることに伴い、主に統廃合に反対する立場から「二谷小学校の建て替えと斎藤分小学校の統廃合を考える会」が集会を開催した。この集会において、新型コロナウイルス感染対応のため提供された連絡先情報を、会のメンバーでもある日本共産党神奈川事務所のボランティアが書き写し、別のメンバーがメモを元に自宅を訪問した*4

 被害を受けた男性が16日に神奈川区事務所を訪れて抗議と聞き取りを行った*5

 日本共産党神奈川県委員会は26日、ウェブサイトに「声明」として謝罪を発表*6日本共産党横浜北東地区委員会がTwitterに投稿した*7

 しかし、これらの対応は誠実さを欠き不十分であるとして、11月5日、「考える会」に関わる「斎藤分小学校の存続を願う住民有志」から共産党神奈川事務所およびその責任者である宇佐美さやか市会議員に対し、申し入れが行われた*8。これに対する党からの公式の返答は、この記事を書いている時点ではない。

 

11月6日岡JCPフェスタにおける、辰巳コータロー氏との会話

 メモも録音もないので、記憶の曖昧な部分は書かず、要点だけをまとめる。

事態の認識について

 まず、辰巳コータロー氏は杉並の件は認知しており、金子けんたろう氏と同世代であり知り合いであることもあり、深く憂慮していた。ただ詳細な事実については、外部者であり把握できていないようであった。

 横浜の件については、私が「ヨコハマ」と言うと、「ああ、署名運動の件だよね」と言われた。署名運動の件とはおそらく、カジノに関わる住民投票署名およびリコール署名に関わる事件のうちのどれかのことであろう。この署名運動においても、情報の不正利用、地域住民や他の運動家との軋轢が起きており、市民から質問を受けたことがあるのだろう。

 また、「統廃合を考える会」における個人情報不正取得問題についても、党から公式の声明があり、いわば解決済みのものとして認識しておられた。

党中央の権能について

 私は、辰巳氏に対し、これらの問題について党中央からも何らかの調査、働きかけや説明が必要ではないかと問うた。これに対する回答は、日本共産党の組織構造の実態が垣間見えるものであった。それは、「建前と本音」的考えから想像される中央集権構造よりもずっと綱領や規約に近いものである。

 まず、杉並・横浜の事件について、中央は認識しているのではないか、というのが辰巳氏の意見だった。しかしそのうえで、党中央は地方組織に対して綱領・規約を超えて命令できる立場になく、指南や話し合いはできても地方組織に成り代わって決定したり発表したりすることはできない、ということであった。もちろん、地方組織における犯罪や綱領に反する決定に対してはその限りではない。

 ただし、私が日本共産党岡山市議会議員の菅原おさむ氏に個人的に訊いたところ、地区で解決できない問題は県へ、県で解決できない問題は中央へと送られる仕組みになっているそうなので、地区・県から中央へ要請があれば、中央が決定・指示することもできると思われる。

 したがって、杉並の件については中央が代わりに解決することはできず、杉並地区委員会の誠意ある行動を願うほかないということだ。しかし、神奈川事務所の個人情報不正取得については、中央からの何らかの対応がありうると考えられる。

まとめ

 今回の聞き取りからは総じて、地方組織の自治性が重視されているさまが垣間見える。今回の事件はその自治性の弊害であると言える。

 このような日本共産党観は、たしかに党中央の責任逃れに加担しているように見えなくもない。しかし、党中央は党の戦略を決定するために選挙によって形成された機関であって、戦術的な意志決定のための集権的機関、デカルトの小人のような存在ではないのである。

 反共を趣味としている愚か者の戯言に反し、日本共産党は名実ともに上意下達の組織ではない。その歴史を少し学べば、地方組織の自主独立は、戦前の弾圧やソ連・中国からの干渉攻撃といった歴史的経緯が生んだ組織的な知恵であることが分かる。上意下達の中央集権的な命令絶対の組織であってはいざというときに一網打尽にされてしまって生き残れないのである。

 

日本共産党に見る分散型組織の弊害とその対策案

 以上の事実から、我々は全く新たな地点から出発しなければならない。つまり、事態は中央執行部に責任を取らせ、改善策を出させればよいという問題ではない。むしろ、そうしたトップダウンの解決策の不可能性こそが状況を規定しているのだ。

日本共産党組織の特性と限界

 日本共産党はその一般的なイメージとは違い、命令系統に定義された近代的な中央集権組織ではなく、草の根のネットワークが主体となって形成されている分散型の組織である。中央委員会をはじめとした機関は、そのネットワークの形成物にすぎない。近代的組織が脳を中心とした神経系で形成される脊椎動物だとすれば、日本共産党は粘菌やキノコの生態に近いと言えよう。そのような組織にトップダウン型の中央集権的仕組みを押しつけてしまうと、組織そのものを殺してしまうことになる。また、組織もそれを受け入れないだろう。

 従って、そこで発生した問題についても、近代的な責任概念の枠組みによって解決することはできない。責任者が一元的な意志決定を行っているわけではない以上、そこに対する働きかけが組織を改善させるとは限らないのである。それはちょうど、キノコに話しかけているようなものである。我々が日常目にするキノコは、既に胞子を飛ばし終えて役目を終えた構造物であり、彼らの本体は地中にある菌糸のネットワークなのだ。

複雑系との付き合い方という難問

 ここで我々は、格段に難しい課題を突き付けられている。つまり、従来我々近代人が頼みの綱としている、一元的な決定主体と命令を前提とした直接的なアプローチが通用しないのである。ではどうすればよいのだろうか。分散ネットワーク型の組織が間違いを犯したとき、誰に、どのように介入すればそれを改めることができるのか。我々は途端につかみどころのない問題に直面する。

 しかし、我々人類は、命令を聞かない分散システムと長きにわたって共生してきている。それは例えば菌糸類がそうだし、またイチバにおける人間のネットワークもそうである。我々はそれを管理することも統制することもできず、かといって根絶やしにしてしまえば自分自身の生きていく基盤が失われてしまう。

 そのような条件を相手とした生きるための知恵は、近代化に伴って失われつつある。しかし、いかなる独裁体制においても、その命令系統を根本的な部分で支えているのは、人間同士の暗黙的な関係性である。この暗黙のネットワークが壊れた時には、組織内での円滑な連携ができなくなり、いかなる明示的な命令も機能しなくなる。

 従って我々は組織における問題解決を考えるうえで、組織の明示的な責任関係よりも、暗黙的な人間関係の方に焦点を当てていく必要がある。暗黙的な人間関係のネットワークを正常化するために必要なのは、人々の心を繋ぎ、関係を修復するための、真の意味での政治である。

コミュニケーションと真の意味での政治

 真の意味での政治という観点から、今般の事件を見てみよう。

 杉並、神奈川の両事件は、どちらも党組織のコミュニケーション不全が根本的な原因として挙げられる。パワハラはそれ自体が悪性化したコミュニケーションとでも言うべきものであるし、また不出馬理由の説明不足なども、コミュニケーションの不足と言える。神奈川の個人情報不正取得は、党内部での法律順守の理念が共有されていなかったことに加え、市民に対して自力でつながりをつくれない、コミュニケーション能力不足が背景にある。

「コミュ障」を規定するもの

 乱暴に言ってしまえば、党組織がコミュ障なのがいけないのである。では、なぜ彼らは「コミュ障」なのだろうか。

 コミュ障を規定しているのは、怯えである。人と関わらないにしてもひっきりなしに話し続けてしまうにしても、そこには、拒絶されるのではないか、気まずい沈黙に陥るのではないか、という怯えがある。その怯えのために、ますますいびつなコミュニケーションをとってしまうのである。

 ここには、単に怯えと怯えの対象という関係があるのではない。怯えの対象は、ほかならぬ怯えによってを生み出されているのだ。

 したがって、コミュニケーションの不確定性を認識しつつ、信じて身をゆだねる勇気が必要である。勇気を得るためには、不確実性を直視して耐えられる、人格的に統合された自信が必要である。この自信は、自愛から生まれる。自愛を育むには、無条件の愛が与えられなければならない。無条件の愛を与えることができるのは、同じようにして怯えを克服した人だけである。そのような人は稀である。

マネジメントの必要性

 怯えのないコミュニケーションが取れるとして、何が行われるべきであろうか。ここでは、安冨歩の解釈によるドラッカーのマネジメントを挙げたい。

 マネジメントは、組織の機構や仕組みではなく、経営者の人格を賭けた誠実な運営のことである。その人となりによってはじめて現代の組織は成り立つ、というのが、ドラッカーの主張である。経営者に求められるのは、勇気であり、忠誠であり、誠実であり、洞察であり、献身である。安冨は、このような経営者を「君子」と表現している。*9

 「君子」は、その組織の明示的な役割や責任を飛び越えて、真の意味での政治を取り行い、組織を変化させていく。その際拠り所にすべきものは、組織内の論理ではなく、自分自身の全人格的な誠実さだけである。

 

マネジメントの主体は誰か

 ところで、こうしたドラッカーの経営者観は、日本共産党の組織構造には適合しないように見える。少なくとも、一元的な経営者が存在するわけではないから、そっくりそのまま当てはめることはできない。儒家の君子論のいささか選民思想的なきらいのある部分も、日本共産党には相いれない。

 しかし、「経営者」「君子」の仕事が組織内の明示的な役割に依拠しないことを考えれば、すべての人にマネジメントの主体となる資格があると言えるのではないだろうか。たしかに、組織内の地位によって使える権限は限られることがあるが、そういった命令系統に依存せずに人を動かすのが「君子」である。

 したがってこの意味で、日本共産党に関わる全ての人に、日本共産党のコミュニケーションを正常化させるための真の意味での政治を行う資格がある。

我々はなにをすべきか

 それでは最後に、我々党外の市民がなにをすべきかを考えてみようと思う。

 現状、日本共産党は「国民に開かれた党」を目指しながらも、地方組織においてはなお閉鎖的な部分が残っており、市民ボランティアに対する心理的な線引きが存在する。そして、組織の時代遅れの慣行が温存されており、それは時に現在の法律や社会的良識に反することがある。

 これらの課題について、第一義的に日本共産党自身に責任があるということは言うまでもない。もちろん、我々には無関心と無責任を決め込む権利がある。しかし、時代を変革する同じ志を持つ同伴者として党に関わるならば、やるべきことがあろう。

 我々市民が党に対する効果的な働きかけをするためには、党のほうから市民に心を開いてもらわなければならない。党という共同体に安住したいという党員の動機がある限り、いつでも外部者は排除されうる。我々はまずこの状況を変えなければならない。

 心を開かせるには、まず自分の心を開くことが必要である。よしんば、自分の心を開くことなしに相手の心を開かせることができたとしても、それではこちらからのマニピュレーションになってしまい、健全なコミュニケーションは発生しない。

 抗議や圧力だけでは、相手を縮こませるだけである。敵対的な政治組織を叩き潰すつもりならともかくとして、問題を解決して状況を改善し、再び市民と共産党の共闘関係を築けるようにしなければ、早晩共倒れになってしまう。我々は、もう一度共産党にチャンスを与え、それを活かせるように手助けしなければならない。そのためにも、虚心坦懐に関わって、問題を提示し、その解決を助けなければならない。

 もちろん、どうして一般市民が党のお世話なんかしなきゃならんのだと思うのもごもっともである。実際、党が市民ボランティアの好意に胡坐をかき、その関係性に耽溺してしまうことは防がなければならない。そのためにも、粘り強く自分の足で立つよう働きかけ、愛をもって「君子」を生み出していかなければならないのである。

 とかく面倒で根気のいる話であるが、日本共産党に限らず人間社会は一事が万事この調子なのだから、世事などは忘れて、山にでもひきこもってしまったほうがはるかに気が楽というものである。

*1:

横浜の集会参加者4人の個人情報 共産党関係者が不正流用 | カナロコ by 神奈川新聞

*2:日本共産党員は、その党規約の定めにより、党の方針に反する意見を勝手に発表することはできない。その代わり、党員であれば党の会議で党のいかなる組織や個人にたいしても批判でき、党のどの機関に対しても質問し、意見を述べ、回答を求めることができる

*3:この件について、私は事実確認を行っていないため、噂の内容の真偽は定かでないが、噂が広まった事実については、Twitter上で「金子けんたろう」と検索をすれば確認できる。

*4:*1に同じ 

*5:

斎藤分小学校での催しで起きた個人情報の漏洩事件について、共産党の神奈川区事務所に聞き取りした記録 その1 - YouTube

*6:

党関係者による住民団体における名簿の目的外使用について | 日本共産党神奈川県委員会

*7:

日本共産党横浜北東地区委員会⚙🌾#比例は日本共産党 on Twitter: "この間、新聞報道もされました日本共産党関係者による住民団体における名簿の目的外使用についての声明を発表しました。 https://t.co/g9PaLKypFS" / Twitter

*8:

TwitLonger — When you talk too much for Twitter

*9:

生きるための論語 (ちくま新書)

P242