生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

なぜ人を殺してはいけないのか?

 「なぜ人を殺してはいけないのか?」

 こんなナイーブな質問をテーマとした記事はもはやクリシェと化していて、すでに様々な立場の人が本を書き、立場のない人々もネット上に匿名で書き込み、多くの論争の形跡があります。

 

 にもかかわらず、どれとしてそれらのおしゃべりを終わらせるだけの結論を出せているようには思えません。なぜでしょうか?

 

 その原因は、彼らの誰一人として十分な説得力のある論を立てられていないというのではなく、「なぜ人を殺してはいけないのか?」の「なぜ?」が問うているものを掴み損ねているからだと思われます。そもそもこの「なぜ?」が複数の意味を持ちうるために話が嚙み合っていないのです。

 例えば、「法は法である」と説明する者と社会契約論を説く者では、議論している階層が明らかに異なります。前者は法の内側に住んでいますが、後者は人類史を上空飛行的な視点から観察しています。彼らは同じものについて論じているつもりですが、実は違うものについて話しているのです。

 

 そういうわけで我々は、「なぜ?」という問いが問いうるものを整理することから始める必要があると思われます。そのあとで、それぞれの「なぜ?」に対する回答をすることで、おのずと「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問題に対する結論が浮かび上がってくるでしょう。