生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

「わが青春つきるとも―伊藤千代子の生涯―」とアンティゴネ

  知り合いの日本共産党市議に誘われ、映画「わが青春つきるとも―伊藤千代子の生涯―」を観た。この映画は、桂 荘三郎監督のもと、全国的な協賛募金と製作支援上映権の販売によって製作され、全国で上映活動がなされているものである。

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伊藤千代子その人

 伊藤千代子は、戦前の非合法だった日本共産党に所属して活動し、治安維持法で逮捕、拷問を受け、非転向を貫き獄中闘争の末、24歳で亡くなった、女性革命家である。

 

 とはいえ、千代子も生まれた時から革命家だったわけではない。

 千代子は1905年7月21日信州諏訪で生まれた。幼少期に母と死別、経済難から母の実家に移され、そこで育てられた。

 「女が勉強してなんにならずか」という時代に諏訪高等女学校へ進学、土屋文明のもとで自由主義的な教育を受ける。島崎藤村トルストイを愛読し、豊かな感性を蓄えた。

 卒業後は代用教員として子どもたちに接し、子どもの貧困という社会問題に触れる。そののち、「小さなもくろみ」を期し仙台尚絅女学校を経て東京女子大編入学。細井和喜蔵『女工哀史』やベーベル『婦人論』に触れ、実際の社会の理想との落差を理解するとともに、社会変革を志していく。

 「目の前にある不公平な社会をなんとかよりよいものにしようと」、学内に社会科学研究会を結成し、マルクス資本論』をはじめとして学習に努めた。社会を変えるという「大きなもくろみ」のため、研究会の組織拡大やストライキ支援、選挙応援などの学外の活動にも力を尽くした。逮捕・投獄後も獄中で仲間を励まし、連絡網を作り、獄中闘争を行った。

 しかし、過酷な投獄生活と転向謀略により錯乱し、精神病院に移送される。再起を期すも十分な治療が受けられず、最期は急性肺炎で亡くなった。

 

左翼・共産党プロパガンダ映画?

 さて、この伊藤千代子を描いた映画「わが青春つきるとも」は、戦前の労働運動や創立期の日本共産党の闘い――資本家・ヤクザ・特高警察との闘い――を描いたものである。そしてこの闘いは今なお続いている。そしてこの映画自身がその闘いの一部ですらある。しかるに、「政治的中立」などというものはあり得ない。

 しかし、この映画を左翼あるいは共産党の「プロパガンダ映画」に位置づけるならば、失敗作と評するほかない。生々しい貧困の描写が不足しているために、労働運動のやむにやまれぬ必然性が感じ取れない。そのために、弾圧や分断工作との葛藤も説得力を欠いてしまっている。セリフでは社会主義の理想と方法が説かれるが、これでは伊藤千代子は単なるカンチガイしたイタい人である。

 当時の農村部の貧困、身売り、工場労働の過酷さは想像を絶するものであったのは歴史的事実である。しかし、そうした知識のない"今どきの若者"からすれば、現代の労働運動に対する冷ややかなまなざしと同じものが、この映画にも向けられることは請け合いである。

 もしも、社会変革の必然性を説き、戦前の労働運動・革命運動を擁護したいのであれば、天皇絶対制が社会大衆にもたらす貧困、抑圧、盲目をこれでもかと描写すべきなのだ。マルクスの『資本論』が変革の原動力となったのは、それが机上論だけでなく実際の工場制のもたらした害悪を統計的な調査によって明るみに出したからでもある。

アンティゴネとしての伊藤千代子

 しかし、この映画の真骨頂は千代子が逮捕されて以降の後半部分にある。そこでは、拷問され、辱めを受け、環境の悪い独房に閉じ込められ、身体を病み、共産党に勧誘してくれた先輩や志を同じくしたはずの夫までもが天皇制擁護に転向し、にもかかわらず決して屈服せず闘い続ける千代子たちの姿が描かれる。そこにあるのは、「世のため人のため」といった言葉ばかりの理想を超越した、崇高な抵抗者の姿である。

 転向した千代子の夫、浅野は、精神病院で治療中の千代子を訪れ、天皇制を擁護した「より現実的な」社会主義の思想を説く。しかし、千代子はそれを拒絶する。当時の現実を考えれば、合理的なのは浅野の方であり、千代子の死して理想を貫く姿は我々には理不尽に映る。二人の問答は、さながらアンティゴネクレオンである。

 ここで視聴者は、「なぜ伊藤千代子はこうまでして抵抗し続けたのか?」という問いに直面する。映画が最終盤に近づいて初めて、伊藤千代子の理外の信念に触れ、それを理解しようとするのである。このとき、映画前半の描写不足は、落差を提供するための必然的な仕掛けとなる。つまり、労働運動や革命運動をバカにしていればしているほど、伊藤千代子の存在は驚異と困惑の具現として現れるのだ。

「なぜ彼女たちはこうまで抵抗したのか?」

 映画終盤、千代子は発狂し、独房で「天皇陛下万歳」を叫ぶ。獄中闘争の支柱である千代子の衝撃的な脱落は、総転向のはじまりに思える。実際、男たちはそのようにして敗れていったのだ。

 しかし、この事件はむしろ千代子の崇高さを他の同志たちに伝播させることになった。彼らは、強力な精神的支柱を失って、絶望に瀕してなお、抵抗をやめないのである。

 こうして、我々は革命の信念の伝播をついに目の当たりにする。どんなに恐ろしい拷問にも耐え、何度殺されても新たに立ち上がり、ますます強くなっていく無敵の共産主義者は、この崇高の次元からやってくるのである。

 この崇高さは、見る者を共産主義者の世界へといざなう。なぜ伊藤千代子たちは、ああまでして闘ったのだろうか?その理由を知りたければ、科学的社会主義を学ぶほかない。こうしてはじめて、権威主義的な押し付けでなしに、革命運動の伝播が可能になるのだ。その意味でこの映画は、啓蒙的理念でも、革新的思想でも、人間的な理想でもない、革命の核を取り出すのに成功していると言える。