生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

The time is out of joint!

 時代の関節が外れている。意味は失われ、世界は宙吊りになっている。

 

 「生きる意味」は二重の意味で失われている。第一には素朴な意味で。第二には、外れた時代の関節を戻そうとする試みは、避けがたく全体主義国家の復活を志向してしまうという意味で。

 

 何を為すべきかという問いに、答えることができない。まだ応えようがあるのは、何に賭けるかという問いである。しかし賭けは、いかにしてなし得るのだろうか?打算や作為が入り込む余地がない以上、その行為は不可能である。無為もまた作為である。

 

 現状私には、これ以上状況が悪化しないために勝ち目のない防衛戦を戦う以外の道が残されていない。絶望を直視しないように必死で目を背ける。享楽主義と同じくらい禁欲主義は無意味である。

 

 人間の欲求や欲望が、その本性として抗いがたいものならば、何も思い悩むことはない。問題は、それがただ可能であるという点である。だから欲望が問題となるのは、その必然性ではなく、むしろその見かけ上の控えめさにある。しかしこの控えめさは、我々が捕まえたと思ったときに我々を捕まえているものである。

 

 欲望は主体の問題であるとともに、この問題が真理への欲望として主体を捕える。私はこれをいかにすべきだろうか?