生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

1.創発(4)無からの創世と合目的性の発現

 この節では、宇宙が誕生してから、合目的的器官すなわち生体が発生するまでの、歴史を紐解いていく。というのも「存在の無」を巡る議論の前提としては、ただ人間存在は物理法則と因果律に厳密に従って生きていると言うだけでは十分ではなく、それがいかなる唯物的な機序と構造に支えられているかを明らかにしなければならないからである。

 このような、人間存在の科学的な唯物論的基礎付けの試みには、ジャック・モノー『偶然と必然―現代生物学の思想的問いかけ』をはじめとした偉大なる先駆、古典、専門知が既に存在する。ここでの目的はそれらの知識に対して何かを付け加えることではなく、議論として通過していくことである。従って、ここでは科学的な厳密さよりも過程の追跡を重視し、端的に説明していくことにする。

 

 宇宙の始まりの全容を解明するにはあまりにも多くの課題が残っているが、現時点で最も有力な説明は、ビックバン・インフレーション理論を中心にして与えられている。これは、宇宙マイクロ波背景放射をはじめとした多くの観測事実によって、かなりの程度裏打ちされている。

 

無からの創世

 いかにして何もないところ、時間も空間もないところから宇宙が生まれたのか。

 宇宙誕生の最初期のシナリオを説明する代表的な仮説に、アレキサンダー・ビレンキンによる「無からの創世」論がある*1。これは一言で言えば、いわゆる「量子トンネル効果」によって、無の状態から初期宇宙が発生するというアイデアである。

 

 宇宙が誕生する前、無の状態におけるエネルギーは当然ゼロだ。そこから何かが生まれることは、一見エネルギー保存則に違反するように見える。しかし、重力エネルギー(正確には、重力ポテンシャル、位置エネルギー)が負のエネルギーを持つことから、全体のエネルギー収支は0であり、保存則に違反しない。

 全宇宙のエネルギー総量がその誕生以来変わらずゼロなのであれば、なぜ正のエネルギー(質量と一般的なエネルギー)と負のエネルギー(重力)が現れる必要があったのか?言ってみれば宇宙は、無、ゼロエネルギー自身の自己分裂によって形成されている。

 この問いには、ポテンシャルエネルギーをもってして答えることができる。ゼロエネルギーの、真空のポテンシャルエネルギーは、「なにもない」ときより「なにかがある」ときのほうが低くなるのである。もちろん、その間にはポテンシャルの山があるので、絶えず無から宇宙が発生するわけではない。しかし、ポテンシャルの障壁はトンネル効果によって確率的にすり抜けられる。そのため、突如として有限サイズの宇宙が出現するのである。

 

インフレーション・ビックバン

 真空のポテンシャルは、インフレーションの過程においても重要な役割を果たす。

 無から量子的な効果によって生まれた有限の大きさの宇宙は、ポテンシャルの坂を転がり落ちるようにして指数関数的膨張、インフレーションを起こす。初期宇宙の量子論的なゆらぎは空間の膨張とともに引き伸ばれる。このとき、宇宙は断熱膨張しているので、温度が下がっていくと考えられる。

 インフレーションの過程で、宇宙の温度の低下とともにゲージ場の対称性が自発的に破れ、「強い力」「電磁気力」「弱い力」が現れる。

 

 インフレーションが終わるころ、いわば過冷却状態になっていた真空が相転移を起こし、大量の潜熱が解放される。これにより宇宙は急激に再加熱され、火の玉と化す。これがビックバンである。このとき、光子やクォークなど現在の宇宙の物質のもとが生まれる。

 この過程で、物質と反物質の対称性が破れている。これをバリオン数生成と呼ぶ。バリオン数生成の具体的な過程は宇宙に関する未解決問題の一つである。

 こうして生まれた素粒子は、ビックバン後に宇宙の温度が下がるにつれて相転移によって陽子や中性子原子核、水素やヘリウムといった軽元素へと自己組織化していく。

 さらに温度が下がると、プラズマ状態にあった水素原子が中性水素原子の状態に遷移する。この過程が終わると、光子は宇宙を直進できるようになり、宇宙は光に対して透明になる。これを「宇宙の晴れ上がり」と呼ぶ。現在「宇宙背景放射」として観測できる光はこのときに出た光であり、それ以前の光は宇宙が透明でなかったため観測することができない。

 

銀河、星雲、恒星、太陽系の形成

 宇宙初期の量子的なゆらぎがインフレーションによって引き伸ばされた影響で、ビックバンによって元素が合成される際に物質量のムラができると考えられる。こうしたランダムなムラが、宇宙の大規模構造を決定する。

 ビックバンによって生み出された原子は、重力をはじめとした力による相互作用によって次第に寄り集まって星を形成する。水素とヘリウムでできた恒星は、質量が大きくなると重力によってその内部で核融合反応を起こし、より重い元素を形成していく。星が水素やヘリウムの大半を燃やし尽くして自重に耐えられなくなると、ガスを放出したり超新星爆発を起こして、合成された元素を宇宙に放出する。今日われわれが知る様々な元素は、こうした恒星の運動によって作り出されてきたものである。

 

地球

 恒星によって生み出された元素もまた重力によって互いに引き寄せ合い、核融合を起こさないさまざまな種類の星を形成する。

 そのなかの、岩石や金属を主成分とした星の一つが、太陽という恒星の周囲を公転する、私たちの住む地球である。

 様々な天体がぶつかって形成された初期の地球には、宇宙から調達されたさまざまな物質が、重力と太陽エネルギーによる圧力と温度に対応した様態で存在している。この地球に生命の誕生を可能にする条件が揃っていたのは、それらの要素の偶然の重なり合いである。

 

化学進化

 化学進化とは、原始地球上で生命が出現するまでの、生命の前提となる物質が生成される過程を示す語である。

 進化と言っても、 内在的な自己複製の力による生物の進化とは異なり、あくまで条件に一意に従って物質が生成される単線的なプロセスである。

 こうした無生物プロセスでの有機物の生成の一部は、ユーリ・ミラーの実験などにより実験的に証明されている。

 この過程が行われているのは、初期地球に限らない可能性がある。生命の素であるアミノ酸や拡散などの有機物、あるいはその前駆体は、地球だけでなく太陽系内の小惑星でも見つかっている。これらの物質は過去に、宇宙に存在するメタンやアンモニアなどが宇宙線などによって反応したものと考えられている。

 

 ともあれ他の天体と比較して地球には、大量の水が存在する。溶媒としての水が化学反応を促進し、海流などによる攪拌が多様な物質を混ぜ合わせることで、生命の誕生に重要な役割を果たしたであろうことには疑いがない。

 地球上では、隕石の衝突、水蒸気雲の雷、地球内部のマグマの熱などによって反応に必要なエネルギーが供給される。

 形成された有機物は、低分子物質とは異なる化学的性質を持つ。これらのうち一部は、異なる環境でその構造をよく保つ。形成された有機物は雨や海流によって異なる環境へは運ばれ、そこで更なる反応の材料となる。

 

 タンパク質や核酸など主要な生体物質は、アミノ酸、リン酸、塩基などを単位として形成されており、その構造には明確に階層性が見られる。これは、アミノ酸が生成され、つぎにタンパク質、という化学進化の過程を物語っている。

 

高分子化合物とその機能

 タンパク質をはじめとした高分子化合物は、そのマクロな構造から、物理的に特異的な性質をつくり出したり、特定の物質に対してのみ反応したり(触媒)、さまざま機能を持つ。

 これらの分子配列および立体構造を決定するさいに働いている一般的な法則にたいして、構造の持つ機能は独立しており偶然的である。分子の形成には化学ポテンシャルがかかわっているが、高分子化合物の機能はむしろその特異的な立体構造にある。もちろん、このことは高分子化合物が熱力学法則を突破することを意味しない。高分子化合物は、特定の物質や特定の傾向にポテンシャルを誘導するのである。このような高分子化合物の性質の発現は、「創発」の一つと言えるだろう。

 

 タンパク質は、その立体的構造から、特定の組み合わせで自発的・自律的に集合し構造を形成することが知られている。この過程には外部からのポテンシャルエネルギーの注入や触媒は不要であり、タンパク質の立体特異的な構造とその溶液との関係とのなかに動力源が存在している。

 例えば、リボソームという、分子結晶に比して複雑な構造を持つ細胞内小器官は、その成分タンパク質とRNAが自発的に集合して完全な活性を得ることが野村真康らの実験によって明らかになっている。*2*3

 これは従来の分子間力だけによるものではなく、前節で紹介した斥力系におけるエントロピー駆動(枯渇力)による自己組織化と推察できる。

 

自己再生産する高分子化合物

 さまざまな働きをする高分子化合物の中に、自己再生産する機能をもつ高分子化合物、あるいは高分子化合物の組み合わせが現れた時、生物の進化のトリガーが引かれることになる。

 ここでの「自己再生産の機能」とは、触媒自身の構造を反映して自己複製することである。単なる自己触媒反応、反応生成物として触媒自身を生み出す反応のことではない。

 このような仕組みは、現代ではDNAおよびRNAの複製として知られているが、原始生物においていかなるものが存在したかは謎に包まれている。

 

 高分子化合物は自己再生産を始めることによって、偶然的な存在から自己原因的存在に変わり、自らの性質に従って機械的盲目的な拡大を始める。

 

自然選択による進化

 盲目的な拡大によって用意された(比較的)大量の自己複製高分子化合物=原始生物は、外的環境の条件のもとでその機能を保存したり(生き残ったり)あるいは機能を失ったり(死んだり)する。ここで、淘汰による見かけの進化が起こる。環境に適合しているものが長く生き残り、コピーを生み出し続ける。しかし、ここではまだ新たな進歩が生まれているわけではない。

 しかし次第に、自然選択それ自体の自然選択が起きる。つまり、単に生き残った原始生物が拡大するだけでなく、より生き残りやすい原始生物を生み出せる原始生物種が生き残っていく。これにより、効率的に環境に適合する個体を生み出すための偶然性を内包し、同時に機能が散逸してしまわない程度の遺伝的不変性を持つような遺伝的システム、つまり自然選択をシステムとして内包した遺伝システムが自然選択されていく。結果残されたDNA,RNAによるシステムが、現代の地球上に生きるすべての生物の基幹的な仕組みになっている。

 

 とくに原始生物において自然選択が起きるためには、適切な条件が必要である。自然選択は漸進的なプロセスなので、原始生物を根絶やしにしてしまわない程度に、しかし生物機能の発展を促す程度に淘汰圧が緩やかにかかっていく必要がある。

 この緩やかな淘汰圧は、原始生物自身の拡大再生産によってもたらされる。原始生物が増殖するほど、増殖に必要な環境中の資源は枯渇していく。このなかで原始生物は、より効率的な自己複製装置へと洗練されていくのである。

 

合目的的器官の形成

 盲目的な自己再生産によってはじまった生物の進化だが、偶然によって有用な特質を獲得し、その特質に沿った戦略が発見されると、進化はそれが最大限有利になるまでその特質を強化する方向にはたらく。

 これによって、合目的的器官が形成される。合目的性の始原は偶然的に獲得された些細な特質だが、その有用性が進化によって強化される。これは、細胞小器官の次元でも、多細胞生物の次元でも同じである。

 

 例えば、ある生物が偶然突起を手に入れたとしよう。これは単細胞生物でも多細胞生物でも構わない。この突起がいかに進化するかは、その生物(種)がその突起をどのように使うかに規定される。なぜなら、その目的によって、いかなる形質が生存に有利かは変わってくるからである。

 もし獲物を突き刺して食べるために使えば、次第に鋭利に進化するだろう。そのほうが、より生存に有利な傾向があるからだ。もし泳ぐのに使うなら、軽く長くなるだろう。そして動きはより柔軟に洗練されていくだろう。もし何にも使わないなら、あるだけ邪魔でエネルギー効率が悪いので、次第に退化してなくなってしまうだろう。

 微生物においても鞭毛や捕食器官といった優れて洗練された合目的的器官が存在するのは、このような事情によると考えられる。

 

 より複雑な多細胞生物で言えば例えば、クジャクが尾羽を交尾のシグナルに採用したことはほとんど偶然である。しかし、一度それが採用されると、その戦略がより確実で効果的な方向へ強化するように進化がはたらく。つまり、尾羽はより大きく派手になる。それは全体的な生存と繁殖に悪影響を与えるまで強化され続け、天敵のいない環境であれば、クジャクの美しい尾羽にまでたどり着く。クジャクの尾羽は、明らかにメスを誘惑するために、合目的的に存在する。クジャクの尾羽の場合、同時にメスの目と認知システムも並行して進化していることを忘れてはならない。オスはメスに適応するために、メスはオスに適応するために器官をある傾向に発達させているので、クジャクは種の内部で自己原因的に進化の傾向をつくりだしている。

 

 このように、特異的な生態は解剖学的適応を規定しており、これが多様な生物を可能ならしめるのである。ラマルクの説のように、生物の意志が直接その形質に影響を及ぼすことはあり得ないけれども、それでもやはり、キリンの首が長いのは高い木に生えた葉っぱを食べるためである。キリンが高木から栄養を得るという戦略を採用しなければ、その首が伸びるように適応進化することもなかったであろう。

 

 このような現象は遺伝的進化に限らない。化粧や服飾の文化的な進化、あるいはアニメキャラクターの顔の絵柄の進化などにも似たような特質の強化が働いている。ある特定の表象が魅惑のシグナルとして採用されるのは偶然に委ねられている。しかし、ひとたびそのような文脈が生成されると、その表象はより強調・洗練されていき、合目的的に利用されるようになる。

 

 ヒトの脳もまたこの手の器官の一つである。脳の進化的発展の傾向は、個体による情報処理が種の生存上の戦略として位置づけられることではじまる。つまり、昆虫のように機械的な、あるいは植物のように風任せの生存戦略ではなく、個体の器用さと創意工夫によって生き残ることに賭けた原始生物のひとつが、我々の祖先にいるのである。

 ところで、人類史上における人間の進化は、遺伝的特質よりも知識のほうが生存に資するようになって以来、遺伝的進化ではなく文化を巡る優越性に則った進化になっている。そして遺伝情報の進化は、その文化的な進化に追随するものでしかなくなっている。遺伝的進化が人間に言語や知識を授けたのではなく、原始人が偶然にも中核的戦略に採用した言語や知識が、淘汰圧と遺伝的進化の傾向をつくり出している。より頭が回り、器用で、喋りの上手な人々が生き残るならば、それを可能にする遺伝的特質が強化されていく。つまり、今日では人間の脳や声帯は、合目的的に調整されていると考えることができる。

 

 このようにして我々は、合目的的器官にまでたどり着いた。我々が目にする生物の合目的性は、神の手によるものではなく、偶然と必然によるものである。ところでしかし、この合目的性はまだ誰にも向けられていない。

 生物が自分自身の合目的性を発見するのは、その情報システムが自分自身に対して向けられ再帰的な構造をつくりだしたとき、つまりはじめて反省したときである。ここに至るためには、まず合目的的器官一般のはたらきを明らかにしなければならない。この課題について、次章で取り組む。

 

参考書籍