生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

1.創発(3)パターンと機能

パターンの生成と対称性の破れ
 自己組織化は、それがなにによるものであろうと、対称性を破りパターンを生成する。というのも、自己組織化は、ミクロな要素の集合からマクロの状態が創発する過程だからである。
 このうちパターンのほうは、前提条件からある程度必然的に定まってくる。というのも、何でもきれいに並べたほうが良く箱に収まるように、自己組織化には効率の良いやり方というものがあるからである。パターンの自由度は、エントロピーの次元において等価なパターンがどれだけ存在するかに依存する。
 他方、対称性の破れは偶然性に委ねられる。ある必然性として対称性が用意されていても、系の初期条件に依存しない偶然によって対称性が破られ、ある一つの非対称が選ばれる。この偶然が系の内在的なゆらぎによるものを「自発的対称性の破れ」と呼ぶ。
 
 対称性の破れの例をいくつか挙げよう。
 鉱物の結晶構造について考えよう。結晶は、原子が決まったパターンに整列することによる。これは原子構造からある程度決まってくる。ところで、その結晶パターンの析出する方向は、偶然に委ねられている。結晶の生える向きは結晶の起点となる核に依存するが、核の向きは偶然的だからである。一度生える向きが決まると、結晶は異なる角度で析出することがない。液体中であらゆる方向を向いていた結晶の成分の分子は、結晶化によってその対称性が失われて特定の一方向を向く。
 あるいは、胚発生における体軸の決定もまた対称性の破れである。
 カエルにおける背腹軸は、精子の進入角度によって決定される。この精子の進入角度は偶然に委ねられているが、外部からの偶然的な情報がなければ胚は体軸を決定することができない。*1
 人類のほとんどは心臓が左側にあり、また多くの人が右利きである。このとき、対称性の破れは複数の階層にまたがって起きている。まず、左右軸が対称的ならば、「利き手」は存在せず、心臓は身体の中心に対称的な形で存在することになってしまう。したがって、個体レベルで対称性が破れなければならない。第二に、個体レベルの対称性の破れが対称的に起きているならば、利き手の分布は左右50%ずつになるはずだが、現実はそうなっていない。つまりこの対称性の破れは個体発生において起きているのではなく、種の階層においても起きているのである。心臓が右にあり左利きが多数派であっても何の不思議もないが、現実はそうではない。これは種の階層におけるただ偶然的な対称性の破れの結果なのである。
 
 対称性の破れの興味深い例として、継続的な相互学習により対称性が破れ、搾取関係が生じることを明らかにした研究(囚人のジレンマで搾取が発生する仕組みを解明 | 東京大学)がある。これはコンピュータシミュレーションによるもので、当然初期状態は厳密に対等である。しかし、複数回の「囚人のジレンマゲーム」を通して相互学習を進めると対称性は破れ、どちらかが継続的に利得を得るようになる。この研究結果は、主人と奴隷の弁証法にちょっとした補足をする。つまり、対称性の破れの概念によって、原初的な主人(になるであろう者)と奴隷(になるであろう者)の優劣(どちらかが他方よりもほんの少しだけ命知らずだった等々)を想定せずに済むというわけである。
 
 最後に、対称性が破れずパターンもない例外として、アモルファス(非晶質)構造を挙げておかなければならない。
 アモルファスとは、結晶構造を持たない固体物質であり、急速な冷却や不純物の存在などによって、結晶化しないまま固体化することで形成される。最も身近なアモルファスといえば、ゴムとガラスがある。その特徴は、原子の配列のランダムさによる均質性、等方性にあり、構造的な弱さがなくたいてい粘り強い。熱力学的には、非平衡な準安定状態にある。
 これは特別に「パターンのないパターン」として分類しておく必要があるだろう。なぜなら、「パターンがない」ことによる特別な性質が発現するからである。
 
パターンからの機能と運動の生成
 より複雑で動的なパターンの生成について考えてみよう。チューリングパターンというものがある。
 シマウマの縞模様や、チーターやキリンの柄など自然界に存在するパターンの一部は、化学反応の数理的な結果として説明できる。反応拡散方程式と呼ばれる多変数関数の連立微分方程式がある条件を満たすとき、空間的パターンが生じるのだ。これをチューリングパターンと呼ぶ。計算によって導くことができるのだから、チューリングパターンはある初期条件が与えられた際の必然的な現象である。反応拡散方程式は時間の関数であり、パターンは動的な変化を伴って出現する。
 コンピュータシミュレーション上のチューリングパターンは、何の意味も機能も持たない単なる画面の染みであるが、現実に存在するパターンは何らかの副次的機能、というよりも文脈の読み替えの余地をもたらす。パターンは微視的な不均一をつくるからである。
 
 ナミブ砂漠では、フェアリーサークルと呼ばれる植物の分布の空間的パターンを見ることができる。フェアリーサークルが形成される原因については、白アリ説、微生物説、植物毒説、生態学的なチューリングパターン説など諸説ある。ともあれ、宇宙人が意図的に描いたなどでなければ、これは生態間の微視的な関係性のもとで自発的に生じた、数理的な必然性を伴うパターンだと考えられる。
 この植生のパターンは、単なる結果として表現されるだけではなく、他の生態への機能を提供する。単に一面に均一な植生があるよりも、繁茂している地帯と不毛の地帯が入り混じっていることによって、多様な生態に適応の機会を与えるだろう。ここでは、特定の階層におけるパターンが、別の階層における機能を獲得することになる。
 安冨はチューリングパターンを創発と反対のこと、つまり上位の階層の現象を下位の階層の原理で説明可能であることを示したものだとしたが、チューリングパターンによって生成されたパターンが新たな機能を持つことで創発の契機となりうる。むしろ、真の意味で説明不能なものが出来する「創発」は存在しない。原子の振る舞いはクオークによって分析できる。しかし、原子の機能をクオークに還元することはできない。人間の振る舞いは行動分析学等々で説明できるが、人間そのものを分析的に還元してしまうと、かえって人間を捉えられなくなってしまう。
 
パターンと機能と単位体
 パターンが生み出す機能をもう少し理解するために、セル・オートマトンの代表であるコンウェイライフゲームを例にとってみよう。そこでは単純な系(ルール)における複雑なパターンの運動を見ることができる。そして、それぞれのパターンを組み合わせることで万能チューリングマシンを構成できるほど、高度な機能を持ちうる。
 もちろん、ライフゲームでは初期状態をうまく設定してやる必要がある。ゲームはルールに厳密に従って時間とともに進行する。ライフゲームには、移動や増殖を行う特徴的なパターンが存在し、ひとたび運動が始まるとそれらはルールに従って必然的に自らの機能を発揮する。
 特徴を持ったパターンは、もはやライフゲームの世界の一部ではなく、独立的な単位体に見える。それらの単位体は、パターンがルールに厳密に従うことで、周期的な運動をする。しかし、単位体の存在はライフゲームのルールには想定されていないし、ルールによって特別扱いを受けることもない。ライフゲームのルールはミクロなセルの挙動だけを規定するのであって、マクロなパターンが生み出す機能については無関心なのである。ミクロを規定するルールに対して、このようなマクロなパターンが機能を生み出すということは、創発の一種と言えるだろう。
 ライフゲームの初期状態をランダムに設定すると、パターンがまるで生き物のように動き回り、衝突合体し、分裂するのを見ることができる。高機能なパターンはほんの少しのノイズによって狂わされてしまうから、ランダムに生成されたパターン群はほとんどの場合で長期的に死滅に向かい、最終的には不活性で単純な構造体だけが残される。ここでは、混沌から構造が表れるプロセスと、構造が長期的に死滅していくプロセスは非対称的である。
 
自己再生産する機能
 コンウェイライフゲームでは自律的に完全な自己複製を行うパターンは未だに発見されていないが、それはおそらく空間とルールの制約によるものである。セル・オートマトンという条件では、フォン・ノイマンによるユニバーサルコンストラク*2をはじめとした、自己複製マシンが存在する。
 セル・オートマトン環境における自己複製マシンの自己複製の機能を支えているのは、セルの状態のパターン以外にはない。もちろん、一番初めの自己複製マシンを初期状態として用意するには、天文学的な偶然、あるいは人の手(セル・オートマトンからしたら超越者の手である)の力が必要である。しかし、ひとたびその特定のパターンがつくられれば、セル・オートマトンのルールに従って必然的に自己複製を始める。やはりこのときも、セル・オートマトンのルールからすれば、自己複製マシンは一連の状態変化の一部でしかない。マシンが「一つのマシン」として数えられるのは、一連の運動から機能という単位を本質として見出すときである。
 
  生物の自己再生産もまた、微視的にはアミノ酸やタンパク質のパターンに従った一連の自動運動である。宇宙の法則は、生物という単位体には興味がない。このミクロレベルの自己再生産機能は、生命の誕生において決定的な役割を果たしている。というのも、自然の攪乱のなかにひとたび自己再生産の機能が出現することで、淘汰と進化という全く異なる階層の運動がはじまり、自己再生産という機能そのものの保存と発展がはじまるのである。
 生物を形づくるアミノ酸やタンパク質のパターンが、いかにして機能を獲得し、機能し、自己保存し、自己再生産するか、といった問題は、分子生物学の研究テーマであり、そして生物の起源の謎に迫るものである。これについて専門的な描写はできないけれども、大まかで蓋然性の高いシナリオを通じて、生命の誕生を素描し、我々の存在の根本にあるものについて、明らかにしていきたいと思う。これが次回のテーマである。

*1:ベイトソンの『精神と自然: 生きた世界の認識論 (岩波文庫 青 N 604-1)』によれば興味深いことに、カエルの体軸の決定は精子の侵入ではなく細い針で突いた場合も起こる。この場合も正常な細胞分裂によってカエルに成長するが、精子からの遺伝情報がないため染色体の数が通常の半分となり、生殖能力のない個体になる。

*2:Von Neumann universal constructor - Wikipedia