生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

1.創発(2)熱力学法則と自己組織化

 熱力学法則の存在は、生命の存在をより不可解に見せる。生物は、熱力学法則に抗って成長し、生活し、繫栄する。さらに不可解なのは、そのような熱力学法則に抗う仕組みが、当の熱力学法則のもとで発生したことである。 科学の時代に入ってもなお、多くの人々が生命の誕生の神秘に大いなる意思を見出したのも無理はない。
 しかし、この不可解さは見かけのものである。少なくとも、超越的存在を仮定するよりも、熱力学法則が生命の誕生を許す、あるいは生命の誕生の駆動力そのものとなっていることを考えるほうがたやすい。そのことを以下の節で示そうと思う。
 生命活動には、エントロピーを捨てる仕組みが不可欠であり、生物が地球上で生き続けるためには、太陽からのエネルギーと大気圏外への放射によって、地球のもつエントロピーが絶えず減少していなければならない。しかし、系の大きさに対して生命が十分小さく少ないうちは、とくに生命の発生の過程は、孤立系での現象として説明してもよいだろう。なぜなら、生命現象はそれを取り巻く環境系のエントロピーを増大させる過程であり、ネゲントロピーはその余地を絶えず作り出すために要請されるのみなのであって、生命現象が地球という系の大きさに対して極めて小さくほとんど影響を及ぼさないのであれば、系のエントロピー収支は考える必要がないからである。
 
エントロピー増大則:可逆過程から不可逆過程へ
 熱力学第一法則――エネルギー保存則が示すのは、いかなる過程においても、その全体のエネルギーは増えたり失われたりせず保存される、ということである。であるならば、エネルギーをやりとりするある過程の前と後では何が変わっているのだろうか?その過程がなにも変えないならば、元に戻すこともできるはずである。
 実際、マクスウェルの悪魔という有名な思考実験があるように、微視的な粒子の運動だけを見ればエネルギーのやり取りは可逆なのである。しかし、現実はそうはなっていない。それは、熱力学第二法則エントロピー増大則が示すことである。
 
 エントロピー増大の仕組みについて触れておこう。ミクロでの可逆過程がマクロな不可逆過程を形成する仕組みを理解するためには、統計力学におけるエントロピーを見る必要がある*1統計力学エントロピーは次のボルツマンの原理で表される。
 

 S=k_B\log W

 

 k_Bボルツマン定数というJK^{-1}の次元(エネルギージュールJを温度ケルビンKで割るので、つまりエントロピーの次元)の定数で、温度をエネルギーに関連付ける。正確にk_B=1.380649\times10^{-23}JK^{-1}と定義されている。
  Wは状態数、ある特定のマクロの状態を実現するミクロの状態の数である。式を見ればわかるように、エントロピーはこの状態数の対数に比例する。
 状態数は、理想気体(分子間力がなく、分子の大きさを考えない気体)において次のように考えることができる。
 
 W=\dfrac{N!}{\prod_i N_i!}
 
 Nは粒子の個数を表し、 N!はその組み合わせの数の全体。分母は、粒子同士の区別をつけないことによるものである。
 
 系Aと系Bが混ざり合わさるとき、
 W_{A+B}=W_A\times W_B
 S_{A+B}=S_A+S_B
 実際、 \log(xy) = \log x + \log yである。
 
 これらの式は何を示しているのだろうか。繰り返すが、微視的状態同士の変化自体は可逆である。巨視的状態の傾向をつくり出すのは、ある巨視的状態を実現するような微視的状態の「場合の数」、つまり状態数の大小である。微視的状態(粒子の状態)がランダムに変化するとき、ある巨視的状態を実現することのできる微視的状態の数が小さければその巨視的状態は起こりにくく、逆にある巨視的状態を実現する微視的状態の数が多ければその状態は起こりやすい。
 例えば、部屋を散らかすのも片付けるのも、同じ「物の移動」という過程である。にもかかわらず、散らかった部屋が勝手に元に戻ることはない。散らかっている部屋を実現する「状態の組み合わせ」の数は無数にある(部屋が散らかっているとき、例えばドライヤーは洗面所以外のどこか、キッチン、本棚、机の下、……にある。)が、片付いている状態を実現する「状態の組み合わせ」の数はより少ない(ドライヤーは洗面所の棚に、皿は食器棚に、鍋はキッチンになければならない)。ランダムにものを取り出してランダムな場所に置けば、部屋は散らかる一方で片付くことがない。そして、どのような初期状態からはじめても、結局部屋は散らかる。
 一般的に、系の分子の数は十分に多い(例えば、0℃1気圧での気体22.4Lには 1\mathrm{mol}=6.02×10^{23}個の分子が含まれる)ため、「偶然勝手に部屋が片付く」確率は限りなく小さい。つまり、分子が自由な運動をすれば、もっとも「場合の数」が多いような状態、つまりエントロピーが極大の状態に落ち着くことになる。
 
 これは一見、一様な粒子の分布の問題で、化学反応にはまた別の説明が必要に見える。確かに、原子間の引力などを特別に考えなければならないが、最終的な考え方は同じである。直感に反するかもしれないが、あらゆる化学変化は理論的には可逆だからである。
 化学反応が不可逆反応となるのは、物質が沈殿や気化などで、エネルギーが熱や光などによって系外に放り出される場合である。ところでこの不可逆性は、反応の傾向を決定するわけではない。
 化学反応の傾向を決定するのは、化学ポテンシャル
 
 \mu_i(T,p,N)=\left( \dfrac{\partial G(T,p,N)}{\partial N_i}\right) _{T,p,N_j}
 
である。化学反応は、それぞれの成分iの化学ポテンシャルが等しくなるようその物質量Nを変化させる傾向がある。
 とはいえ、化学ポテンシャルはマクロな状態関数である。ミクロの世界を見れば、化学反応はそれが可逆反応であれば、常に一方向に向かって起きているわけではない。そのさい化学平衡は、正反応と逆反応が均衡することで起きるマクロな平衡、動的平衡であり、ミクロでの反応が何も起きないような静的平衡ではない。
 正反応と逆反応が併存するならば、化学反応は直線的な因果的必然ではなく、微視的に見れば確率的な現象だということになる。つまり化学ポテンシャル同士の大小が規定しているのは、その反応の決定的な傾向ではなく、確率的な起こりやすさである。微視的な化学反応の起こりやすさは、それを可能にする周囲の粒子の「場合の数」に依存する。それを決めるのは、化学ポテンシャルを決める独立変数、温度と圧力、物質量である。化学反応を起こす「場合の数」が多い反応ほど、単位時間あたりに多くの反応=速い反応を起こし、反応物を消費する。単純な一つの反応を考える場合、最終的には、正反応と逆反応それぞれの反応物の量の比が、それぞれの反応の起こりやすさの比の逆比となる状態で化学平衡する。
 
 実際、化学ポテンシャルから、化学反応はギブズ自由エネルギーが減少する方向へと起こり、
 \Delta G = \Delta H -T\Delta S
なので、孤立系(等積断熱)でエンタルピーHが一定ならば、化学反応によって系を化学平衡へといざなう自由エネルギーの減少の傾向はエントロピーの増大の傾向と等しい。
 
エントロピー駆動による自己組織化
 エントロピー増大則は一般に、散逸、拡散、無秩序化といったイメージとともに語られている。それは多くの場合で(とくに宇宙という巨大な真空を想定した場合では)正しいが、すべてにおいて正しいわけではない。場合によってはエントロピーの増大する過程でその逆の効果、凝縮、集合、秩序化が行われる。
 
 まず分かりやすいのが、引力による自己組織化である。例えば、星雲は宇宙に散らばる塵が万有引力によって寄り集まってでき、次第に星を形成する。互いの位置エネルギーが運動エネルギーに変換され、衝突によってそれが相殺され熱や化学エネルギーに変換される。この過程でエントロピーは増大しており、星が勝手に分裂することはないように(別のプロセスを経て星が再び星雲にばらけることはありうるが)、これは不可逆過程である。
 
 直感に反するかもしれないが、斥力の相互作用によっても自発的な自己組織化は起こる。もっとも基本的かつ重要な例は、「アルダー転移」として知られるものである。これは、剛体球(引力を持たず、斥力を持つ)の無秩序な集合に圧力をかけていく(空間を狭めていく)と、ある時点(ある体積充填率)で秩序のある状態へ相転移する。これは、この相転移が起きる時点で、流体状態よりも結晶状態のほうが、自由エネルギー曲面が低くなり、エントロピーが大きくなっていることを意味する。体積充填率が大きくなり球が詰まってくると、ランダムな配置を取るよりもそれぞれの球が規則的に並んだ自分の守備範囲のなかでブルブル震えているほうが配置の「場合の数」が多くなるのだ。*2
 生物の発生や細胞内の活動における自己組織化を考える際により重要になってくるのは、水をはじめとした溶媒中での巨大分子の自己組織化であろう。これは朝倉-大澤理論を通して説明されている。基本的には上のエントロピーの考え方と同じで、「離れている巨大分子が互いに近づき会合することで、溶媒分子の配置空間が増加し、配置のエントロピーも増える」*3。分子は周囲の分子が接近することのできない排除体積空間をもつのだが、巨大分子が会合するとこの空間が共有して全体の排除体積空間を減らすことができる。これによって、溶媒のエントロピー増大を引き起こすのだ。
 このエントロピーによる駆動は、生体内でたんぱく質が他の物質と吸着するさいに役割を発揮している。たんぱく質が他の物質と選択的に吸着することでエントロピーが増大するため、とくべつに外部からエネルギーを供給する必要がない。ただ細胞膜による一定の圧力と体温があればよいのである。
 
 以上のようにして熱力学法則は、世界を分解と混沌に帰すだけでなく、秩序をももたらすのである。ところでこの秩序というものは、原子などの要素の性質によるものであるけれども、秩序そのものがその要素に書き込まれているわけではない。ミクロの要素の集合からマクロな秩序状態が現れることはそれ自体、新たな階層の発現、創発なのである。
 ところで、ミクロの要素からすれば、その挙動はそれ自身で完結しており、マクロな状態は偶然的な結果でしかない。マクロな秩序状態を見出すためには、それに適した観念と枠組みが要請される。この観念自身の創発については、後々の議論を待たなければならない。

*1:ここでは踏み込まないが、熱力学エントロピー統計力学エントロピーが同等であることはすでに分かっている。

*2:この説明は、放送大学教材『エントロピーからはじめる熱力学〔改訂版〕 (放送大学教材)』に拠るものである。

*3:Ibid.