生きる言い訳

「なぜ生きるのか?」「いかに生きるべきか?」という問いに正面から挑戦する、哲学・倫理・思想ブログ

フリーハグ運動弾圧さる!

 岡山駅には、最寄りのイオンモールに向かう広めの地下通路がある。平日の午後や休日には人通りが多く、市道ではあるが、運営は管理会社に委託されている。

 本日私はここで、「フリーハグ」を行っていた。というのも、安倍晋三暗殺事件を受けて思うところがあったからである。

 目隠しをして30分ほど腕を広げていただろうか。話しかけられること何度目か、目隠しを取れと言われる。目を開けると、襟付きのしわくちゃになった青シャツに、黒ベストを着た男が立っている。

 私はこのとき直感した。ああ、これ外山恒一の闘争記で読んだやつだな。

 案の定その男は警察官、というわけではなく、管理会社の従業員であった。その男の主張ははじめは、私が道路交通法違反をしており、路上で活動するならば市の許可を取ってくれ、さもなくば立ち退け、というものだった。進研ゼミよろしく数々の闘争記から予習済みであった私は、即座に道路交通法の目的と判例を記憶から引っ張り出し、私の行為が「占用」にも「交通の妨害」にも当たらないこと、従って市道の使用に事前の許可は必要ないことを示した。

 しかしその男、なかなか引き下がらない。今度は、通行人ではない人に対しては管理者としてはどうのこうのと言い出した。まさか、市道には通行人以外は存在してはいけないのか?挙句の果ては、一般通行人が動揺するからなどと言いはじめる。これは明らかに、「普通の人」以外を世界から排除し、秩序の裂け目を封じ、強迫的に安心安全清潔な公共空間を実現しようとする市民感情に後押しされている。冗談じゃない!そのような全く法的根拠のない主張で、言論や表現の自由が脅かされてはならない。ましてや、「フリーハグ」さえも排除されるレベルの監視・管理社会など御免極まる。

 そうこうゴネていると、その男は警察を呼んで白黒はっきりつけようと言い出した。フリーハグしてるだけで警察に取り囲まれるのはもはやお笑いであるし構いはしないのだが、今日の行動理念を鑑みるに、警察を論破して法的な正当性を得るだけでは仕方がない。むしろ主敵は、「普通の人」以外を排除しようとする管理方針のほうなのだ。なぜなら、そうした排除こそが暴力的な回帰を呼んでいると考えているからである。

 そういうわけで私は、管理会社の従業員の"立場を尊重"して、市道保有する岡山市、管理委託を受けた管理会社、その従業員の間の指示系統について質すことにした。もし、岡山市道路交通法から逸脱して市道における表現活動を規制するよう指示していたならば、それはまごうことなき越権行為、憲法違反である。もちろん、管理会社や従業員が勝手に忖度して管理強化していても問題である。

 聞くところによるとどうやら、市と管理会社の協議によって「警備計画書」が策定され、それに基づいて警備が行われているようだ。その文書は行政がかかわるので、開示請求をかければおそらく出てくるだろう。担当部署は地域整備課と中央警察署であるそうなので、そこに申し入れに行くのも良いだろう。

 もちろん一人で出かけて行ってもよいのだが、こっちが一般市民と見るや向こうはのらりくらり言い訳をするかもしれない。ここはやはり、市議会議員の応援を受けるべきだろう。共産党の市議団とは以前一度街づくり関連で勉強会をやったので、そのつながりが使える。

 そういうわけで、頭のなかで今後の闘争の段取りを考えながら、今日のところは退却した。岡山路上解放闘争はここに始まった。「普通の人」も「普通ではない人」も、ガクガクしたりワクワクしたりしながら、続報を待て!